朱苗

昨日の記事について、「ところで、堂々と何真さんの息子になった朱苗さんの事を、何晏さんはどう思っていたのだろう?」というコメントをいただいた。


英雄記云、(何)苗、太后之同母兄、先嫁朱氏之子。(何)進部曲將呉匡、素怨苗不與進同心、又疑其與宦官通謀、乃令軍中曰「殺大將軍者、車騎也。」遂引兵與卓弟旻共攻殺苗於朱爵闕下。
(『三国志』巻六、董卓伝注引『英雄記』)


つまり、何苗とは実際には何太后とは母が同じで父が違う兄妹であり、実際には朱氏であったのが何氏を名乗るようになったらしいということを指している*1


何晏自身の親戚に自分が拒否した異姓養子がいるではないか、ということなのだ。
その親戚の立場丸潰れではないか、と。



だが、何苗は上記のとおり何進の故吏からは何進の仇と目された人物なので、何晏としては「祖父を死に追いやった野郎と同じことができるものか!」と考えていたのかもしれない。
7歳で。

*1:一方、何進は何太后とは父が同じで母が違う兄妹なので、何進何苗は父も母も違うことになる。