甄夫人2

昨日のhttp://d.hatena.ne.jp/T_S/20120103/1325516458の続きのようなもの。


あと詳しい事はhttp://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20120103/1325524725を見た方がいいです。色々説明とかするのめんどくせー



太祖為魏公時、得入東宮。后有智數、時時有所獻納。文帝定為嗣、后有謀焉。太子即王位、后為夫人、及踐阼、為貴嬪。甄后之死、由后之寵也。
(『三国志』巻五、后妃伝、文徳郭皇后)

延康元年正月、文帝即王位、六月、南征、后留鄴。黄初元年十月、帝踐阼。
踐阼之後、山陽公奉二女以嬪于魏、郭后・李・陰貴人並愛幸、后愈失意、有怨言。帝大怒、二年六月、遣使賜死、葬于鄴。
(『三国志』巻五、后妃伝、文昭甄皇后)

曹丕の皇后になった郭氏と、曹叡を産んだ甄氏。

それぞれの伝を見た時、同じようで違う点があるのに気付かないだろうか。



郭氏は「太子(曹丕)が魏王になった時に「夫人」になり、即位すると貴嬪になった」と明記されている。


一方甄氏は、曹丕が魏王になってから正式な地位、称号を得た事が全く記されていないのだ。




「お前昨日の記事で甄氏を「夫人になった」って言ってただろ!この嘘つきめが!」とか思った?


いや、昨日こんな風に書いているではないか。
「ここの「夫人」は称号ではなく一般的な「奥さん(○号)」の意味でしかない可能性もあるかもしれないが、そう考えてしまうと「甄氏は正式な称号ろくに貰ってませんでした」って結論になってしまうので、これは上記の魏における後宮の称号としての「夫人」だと考えておこう。」と。

「甄夫人」の「夫人」は称号ではないかもしれない、と私は既に言っていたのである。



今回は、その辺を掘り下げてみよう。




この時代の高貴な女性について『三国志』では、曹操の妻たちが「丁夫人」「劉夫人」と呼ばれている。

いずれも、曹操が魏公になるまえにはいなくなっていた妻妾であり、その後皇后などの号を贈られることもなかった人たちである。



これらの「夫人」が称号としての「夫人」とはまた別のものであることは明らかである。

おそらく、特定の称号(皇后とか貴嬪とか)を持たない妻妾を呼ぶ時に使われたのではないだろうか。



あれ?ということは「甄夫人」って・・・?

もうここまでくれば最後まで言う必要もないだろう。



三国志』の后妃伝で「夫人」号を与えられたと書かれていない甄氏が明帝紀で「甄夫人」と呼ばれているのは、特定の称号を貰わぬままに死んだ「無位無官の奥様であるところの甄氏」を意味しているということではなかろうか、ということだ。

言い換えると、昨日の私の記事は「もし甄氏が正式な称号の「夫人」を持っていたとしたら」という架空戦記ものだとでも思ってほしい、ということになる。



たぶんこの続きはid:AkaNisin氏が喜んで書いてくれると思う。