孔丘先生の食卓

偉大なる孔丘先生の言行録『論語』。

現在、世の中には孔丘先生のふんどしを借りたような著作があふれている。
まったくうらやましい限りである。
今に『もしドラッカーが「論語」を読んだら』とか『「論語」が教える本当に気持ちのいいセックス』とかいった本も出るかもしれない。


しかし、どうも孔丘先生の海原海山的側面はあまり触れられていない*1んじゃないかと思われてならない。

食不厭精、膾不厭細。
食饐而餲、魚餒而肉敗不食
色惡不食。臭惡不食。失飪不食
不時不食。割不正不食。不得其醬不食
肉雖多、不使勝食氣。惟酒無量、不及亂。
沽酒市脯不食
不撤薑食、不多食。
(『論語』郷党第十)

孔丘先生「米は白米なら飽きることなく幾らでも食える。膾は細かく刻んであれば食うのが嫌にならん」

「変な味になった米、腐敗した魚や肉はワシの食卓に出すな!」

「色が変な食い物やおかしな臭いの食い物は口にせんぞ!素材はまともでも料理人の腕が悪かったら食わんぞ!」

「ワシは旬のものしか食わん!盛り付けが正しくなかったらやり直しだ!素材に合うソースが無かったら食わんぞ!」

「肉ばかり多く出すな!適量しか食わんぞ!酒は好きなだけ呑むぞ、悪酔いしない程度にな」

「このワシが市販の酒など飲むか!どこの馬の骨が作ったかわからん干し肉なぞ口にせんぞ!」

「ハジカミも捨てずに食うぞ。ただ多くは食わん」



孔丘先生がどれだけ食に興味を持っていたか、上記の文からお分かりいただけるだろう。
小うるさい偏屈ジジイとか言ってはいけない
衛生観念などは当時にしては進んでいた可能性もある。

もしかしたら先生は美食と健康へのこだわりでは当時の第一人者だったかもしれない。



*1:以前にここで話題にしたが完全スルーされた。