さて問題です。
後漢末、いわゆる三国志の時代の年号「建安」は何年まであったでしょうか?
三国志ッ子なら楽勝ですよね。
洞紀四卷、韋昭撰。記庖犧已來,至漢建安二十七年。
(『隋書』巻三十三、経籍志二、雑史)
というわけで、答えは「二十七年」。
『呉書』編者でもある韋昭は、『洞紀』なる太古から建安二十七年までを記した書を編んだという。
建安二十七年とは魏で言うと黄初三年、呉では黄武元年と改元した年に当たる。
つまり、『洞紀』は後漢末の「延康」への改元と魏への禅譲による年号「黄初」を否定し、孫権が改元するまで「建安」が続いたという世界観に基づいていることになる*1。