『漢紀』序について

建安元年、上巡省幸許昌*1、以鎮萬國。外命元輔征討不庭、内齊七政允亮聖業、綜練典籍、兼覧傳記。其三年、詔給事中秘書監荀悦抄撰漢書、略擧其要、假以不直、尚書給紙筆、虎賁給書吏。・・・(中略)・・・會悦遷爲侍中、其五年書成乃奏、記云四百有一十六載、謂書奏之歳、歳在庚辰。
(荀悦『漢紀』序)

荀悦『漢紀』の序の一部。




『漢紀』は献帝の命によるもので、建安3年から5年の間に編纂された事が載っている。



献帝が許へ遷され、遷した曹操は周辺の群雄と戦い、袁紹とも戦い始めていた頃であろうか。




この時期に政治の実権を握っていたと考えられる曹操の意思が介在していたのか分からないが、曹操の意思にしろ献帝自身の意思にしろ、漢王朝の創建や最盛期を知らしめる事で漢王朝再建を精神的、理念的な面から後押ししようという意図があったのだろうと推測できる。



だが、実際にそういうつもりの編集内容なのかどうかは、実際に『漢紀』を読んでみないと分からないような気はするが。

*1:献帝が連行された「許」が実際に「許昌」と改称されたのは曹丕の時代とされる。当時もあった通称なのか、何らかの誤りや修正があったのか、それともこの序が後から作られたのか、どれとも断言できない。