たまには凄く昔の記事を引っ張り出してみる。決してネタ切れとか楽したいとかそういうのではない。決して。
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20081223/1230047860で、私は『漢書』は断代史ではなく、「古今人表」で漢以前の人物の評価を記すことで『史記』のダイジェストを一篇に収めた通史ではないかと語っている。
個人的にはその考えは今も変わってない。
班氏は、太古から同時代までの通史を記した『史記』の続きではなく、『史記』と同じ守備範囲を持つ通史として『漢書』を作ろうとしたのではないか。
言い換えれば、班固(班一族)は司馬遷のフォロワーではなく、司馬遷と張り合おうと真っ向勝負を仕掛けたのだ。
韋昭である。
彼はhttp://d.hatena.ne.jp/T_S/20110521/1305904957で述べたように伏犠から後漢末までの歴史を記した『洞紀』と、その後の三国呉の歴史を記した『呉書』を記した。
韋昭は自著二つを合わせることで太古から同時代までを網羅した通史とし、司馬・班両氏に並ぶ存在になろうとしたのではないか。
まあ韋昭の場合はどうも最初から国家プロジェクトとしての『呉書』編纂だったっぽいので、全てを韋昭の意思とするのは無理があるのかもしれないが、『呉書』だけではなく『洞紀』も追加して記すことで「私は馬・班と並ぶ存在となったのだ」などと独りほくそ笑んでいたかもしれない。
などと言ってみる。