四年春正月、詔曰「喪亂以來、兵革未戢、天下之人、互相殘殺。今海内初定、敢有私復讎者皆族之。」
(『三国志』巻二、文帝紀、黄初四年)
「勝手に復讐したら、一族皆殺しだかんね」
つまり私的な復讐の禁止である。
何しろああいった時代のこと、かつての敵同士が同じ魏の臣下ということも少なくなかったであろう。
また親への孝行ということが重要視される儒教の時代、親の仇を命懸けで討つ、ということもあったのだろう。
しかし現代の法治国家で復讐が禁止されているのと同じで、律令を超えて勝手に命のやりとりをすることは皇帝としては許しておくことはできないのだと思われる。
そう考えてみると、この時代の怖い気風のようなものを感じる詔である。