魏のあの人狩猟好き過ぎ問題

及文帝踐阼、改為司空、進封樂平郷侯。
時帝頗出游獵、或昏夜還宮。(王)朗上疏曰「夫帝王之居、外則飾周衛、内則重禁門、將行則設兵而後出幄、稱警而後踐墀、張弧而後登輿、清道而後奉引、遮列而後轉轂、靜室而後息駕、皆所以顯至尊、務戒慎、垂法教也。近日車駕出臨捕虎、日昃而行、及昏而反、違警蹕之常法、非萬乗之至慎也。」帝報曰「覽表、雖魏絳稱虞箴以諷晉悼、相如陳猛獸以戒漢武、未足以喩。方今二寇未殄、將帥遠征、故時入原野以習戎備。至於夜還之戒、已詔有司施行。」
(『三国志』巻十三、王朗伝)

魏の文帝曹丕の司空となった王朗は、皇帝曹丕が朝早くから狩猟に出かけて夜遅くに帰ってくることについて諫言した。



大体、時間外勤務をいたずらに増やすようなものなのだから仕える者も困るし、民などももちろん困るし、どう考えても下々の者のことを考えた行動には見えない。王朗の言い分は正論であろう。





曹丕は「今は戦時中なのでワイも狩猟によって戦争の訓練をしていたのだ。夜で危険であるということについては、既に夜間にも護衛するよう命令を出してある」と答えた。つまりゼロ回答である。





これ自体はまあこの皇帝はこういう人やな、って感想くらいしか今のところ思い浮かばないんだが、それにしたってこの皇帝は相当に狩猟好きだったんだなあ。