名付け親

埶家慕其高節、多欲女之、(梁)鴻並絶不娶。
同縣孟氏有女、状肥醜而鄢、力舉石臼、擇對不嫁、至年三十。父母問其故。女曰「欲得賢如梁伯鸞者。」鴻聞而娉之。女求作布衣・麻屨、織作筐緝績之具。
及嫁、始以裝飾入門。七日而鴻不荅。妻乃跪牀下請曰「竊聞夫子高義、簡斥數婦。妾亦偃蹇數夫矣。今而見擇、敢不請罪。」鴻曰「吾欲裘褐之人、可與倶隠深山者爾。今乃衣綺縞、傅粉墨、豈鴻所願哉?」妻曰「以觀夫子之志耳。妾自有隠居之服。」乃更為椎髻、著布衣、操作而前。鴻大喜曰「此真梁鴻妻也。能奉我矣!」字之曰徳曜、名孟光。
(『後漢書』列伝巻七十三、逸民伝、梁鴻伝)

後漢の隠者に梁鴻という人がいた。
高名な彼には近隣の名門、権門がこぞって縁談を持ち込んだが、彼はそれを全部断った。

一方、同じ県の孟氏の娘はお世辞にも美貌の持ち主とはいえず、常人離れした腕力の持ち主でもあったため、三十歳にして独身であった。現代ならよくある話かもしれないが当時で言えば四十歳くらいまで独身という感じだろうか。
彼女は両親に「梁鴻さんみたいな賢いお方がいいですわ」と希望を述べたという。



それを聞きつけた梁鴻は何故か進んで彼女に求婚。

だが孟氏は最初きらびやかに着飾っていたため、特殊な性的嗜好の梁鴻は怒って七日間放置。成田離婚寸前であった。
しかし孟氏は「いや、貴男の志がどこにあるかを観察するためにこんな服装していただけですよ?ちゃんと隠者プレイのコスも持ってきてます」と答えたので梁鴻大喜び。

そこで梁鴻は彼女に「孟光」という名前と「徳曜」という字をつけてやったという。


別に当時の変人の好きなコスプレを知りたいわけではない。
注目すべきは最後。
夫となった梁鴻が妻に名と字を与えているのである。

それまで孟氏には名や字は無かったのだろうか?
夫が命名するのは普通だったのだろうか?