詔は偽物だったのか

初、中領軍高陽許允與(李)豐・(夏侯)玄親善。先是有詐作尺一詔書、以玄為大將軍、允為太尉、共録尚書事。有何人天未明乘馬以詔版付允門吏、曰「有詔」、因便馳走。允即投書燒之、不以開呈司馬景王。
(『三国志』夏侯玄伝)

三国魏の司馬師時代。
司馬師の政敵夏侯玄を大将軍にしようという詔書*1が「偽作」されたが、当時の中領軍許允がそれを拒絶したため、その人事は行われることはなかった。


本当に「偽作」だったのやら。
皇帝による真の詔を、夏侯玄と司馬師で秤にかけた許允が握りつぶしたようにも思える。

*1:尺一とは一尺一寸。皇帝の詔にのみ許される木簡の長さ。