一票の格差

時大郡口五六十萬舉孝廉二人、小郡口二十萬并有蠻夷者亦舉二人、帝以為不均、下公卿會議。(丁)鴻與司空劉方上言「凡口率之科、宜有階品、蠻夷錯雜、不得為數。自今郡國率二十萬口歲舉孝廉一人、四十萬二人、六十萬三人、八十萬四人、百萬五人、百二十萬六人。不滿二十萬二歲一人、不滿十萬三歲一人」帝從之。
(『後漢書』丁鴻伝)

後漢の官僚予備軍推挙の制度である「孝廉」。これは元来「大郡」では人口5、60万人につき毎年2人、「小郡」では蛮夷を含め20万人につき毎年2人を推挙するものであったという。


が、これは平等ではないということになり、郡の規模に関係なく、また蛮夷は含まずに20万人につき1人ということになった。


これは一見平等になったようだが、これによって元々の「大郡」ではより多くの推挙者を出すことが出来るようになり、逆に辺境などの「小郡」では今までよりも推挙者が減ったことを意味する。
官僚世界のパワーバランスが大きく変化し、より「大郡」中心に傾いたということである。
というよりも以前の不均衡な制度は、「大郡」一辺倒にならないための意図的な制度だったのだろう。


孝廉が減るということは長期的には漢王朝中央政府における「小郡」の扱いがどんどん悪くなるということである。
後漢も後半から末期になってくると辺境を事実上放棄したり、辺境が漢の統治から離れようとしたりといった現象が起こってくるのは、この辺と関係あるのではないだろうか。