前漢末の太守

原渉字巨先。祖父武帝時以豪桀自陽翟徙茂陵。渉父哀帝時為南陽太守。天下殷富、大郡二千石死官、賦斂送葬皆千萬以上、妻子通共受之、以定産業。時又少行三年喪者。
(『漢書』游俠伝)


前漢末、天下はほころびが見える一方で特権階級は富み栄えていた。

太守が在任中に死亡した場合、取り立てた銭や香典だけでかなりの銭が集まり、残された遺族はそれで生活できたという。


太守という地方の支配者の旨みがどんなものだったかわかる。
と同時に、当時は太守やそれに匹敵する官になれれば一気に一族全員がセレブ化したと考えられる。