孫権怒りの親征

公孫淵降而復叛、權盛怒、欲自親征。(薛)綜上疏諫・・・(略)・・・時群臣多諫、權遂不行。
(『三国志』薛綜伝)

三国呉の時代、遼東の公孫淵は呉に付いたと思ったら離れたので、孫権は大いに怒って親征して公孫淵に思い知らせてやろうとした。


怒りのあまりの発言とはいえ、孫権が全く可能性のない出鱈目を言っているのではあるまい。


当時の呉は遼東まで兵を送れる状況にあったということだろう。
前にも述べたように、徐州、青州の海沿いは呉にとって完全な敵地ではなかったのではないだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100923/1285172733も参照。)