長沙・零陵・桂陽

曹公征荊州。先主奔江南、荊・楚群士從之如雲、而(劉)巴北詣曹公。曹公辟為掾、使招納長沙・零陵・桂陽。
【注】
零陵先賢傳曰、曹公敗於烏林、還北時、欲遣桓階、階辭不如巴。巴謂曹公曰「劉備荊州、不可也」公曰「備如相圖、孤以六軍繼之也」
(『三国志劉巴伝)

三国志の時代の劉巴
曹操荊州を攻めた時、多くの者が劉備に従ったが、劉巴曹操の下へ向かった。
曹操はその後、長沙・零陵・桂陽を味方に付けるための使者として劉巴を任命した。

つまり、この時点でその三郡は曹操の味方にはなっていない。少なくとも曹操に積極的に付き従っていないことは間違いない。


それと、注の『零陵先賢伝』によれば、劉巴が派遣されたのは曹操がいわゆる赤壁の戦いで敗北して北へ戻る時だという。
ということは、曹操はその三郡を従わせていない状態のままで東進し、孫権の軍と戦ったことになる。