後漢末の劉氏についての戯言

いつか書きたい『三国志
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なるほど、これは慧眼。
確かに自分もそうだったが、三国志の時代の「劉氏」と言えばいっしょくたに扱いがちだ。


しかしよくよく考えてみると、前漢の皇帝から枝分かれした「劉氏」は、後漢末でも特権階級だったのかという点がそもそも疑問である。
上記考察内でも触れられているが、前漢で枝分かれした「劉氏」は後漢では領地を与えられていない。あるいは、最初は与えられたとしても失っている。
徭役免除、不逮捕特権などの皇族に与えられていたという特権も同じ事だ。もしかすると、これも失っていたかもしれない。
もしそうだとしたら、前漢で枝分かれした「劉氏」には実はほとんど特権らしいことがないことになる。
彼らにとって、後漢の皇帝や皇族たち「劉氏」は、自分達から特権を掠め取った連中とも言えるのだ。

もちろん彼ら「劉氏」全員がそんな恨みを抱いていたとは思わないが、特権を与えられていない以上、今の皇帝を積極的に守ろう、体制を保持しようという熱意が生じないのも無理はない。
どちらかというと、「同じ劉氏なんだから、後漢の血統があんな体たらくになった以上は俺達の出番だな」という考えの方が先に来るのだろう。


また、劉備の先祖も劉焉、劉表の先祖も景帝の子とされているのは、おそらく偶然ではない。
自分が天子になろうという野望を秘めた劉氏にとって、景帝の子孫はとても都合がいい。
なぜなら、光武帝は景帝の子の子孫だからだ。
つまり、血筋という面だけを取り出せば、後漢の皇帝の血筋と同格だということになる。

「同じ高祖劉邦の子孫。血筋は同格。そして今の皇帝(献帝)と違って乱世を治める実力がある。これはもう俺が代わりに皇帝やるしかないな」
なるわけだ。


上記考察はもうひとつ、「献帝の正統性は自明のものではなかったのではないか」という重要(と自分は考える)な指摘がある。
これについてはまた別に戯言を書く事にする。