班壹

始皇之末、班壹避墬於樓煩、致馬牛羊數千群。値漢初定、與民無禁、當孝惠・高后時、以財雄邊、出入弋獵、旌旗鼓吹、年百餘歲、以壽終。故北方多以「壹」為字者。
【注】
師古曰「馬邑人聶壹之類也。今流俗書本多改此傳壹字為懿、非也」
(『漢書』叙伝上)

漢書』撰者班固。『漢書』最終巻である叙伝における、班固自身による先祖自慢の中で、班壹なる人物が登場している。


そこの注の中で、顔師古先生が怒っている。


「世間の質の悪い写本では「壹」の字を「懿」に変えているものが多いが、そいつは誤りだボケ」


つまり、今の版本では「班壹」となっているが、顔師古の頃に流通していた写本には「班懿」となっていたものも多かったというのだ。

これはつまり「ここの「壹」は晋の時代に「懿」を避けて改められた字に違いないから、もう避ける必要は無いし戻しておこう」と伝写の際に勝手に文字を改めてしまった奴がいたということなのだろう。
顔師古の家は父祖の代から『漢書』『史記』などの字句の異同についてうるさかったから、おそらくは信頼できる写本などでは「班壹」になっているのを知っていたのだろう。


避諱の問題は色々と難しいものがあるが、こういう後世の勇み足で存在しない「避諱」が生まれる事例もあるようだ。