http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20110425/1303686132でセッコが「魏の魯相」について疑問を呈している。
確かに魏で魯王がいた形跡はなく、いったいどういうことか、と思ってしまう。
この回答についてはジョースター卿のお言葉を引用させてもらおう。
逆に考えるんだ。
「魯相は実は魏の魯相ではないさ」と考えるんだ。
訒展、南陽人、魏建安中為奮威將軍、封高樂郷侯。
文穎字叔良、南陽人、後漢末荊州從事、魏建安中為甘陵府丞。
(『漢書』叙例)
初唐の人、顔師古先生の『漢書』叙例。
この『漢書』注釈者の説明の中で、顔師古先生は「魏の建安中」と表記しているのである。
言うまでもなく建安は一応後漢献帝の年号なわけだが、顔師古先生はおそらくは「事実上既に魏じゃね?」という考えの元、「魏の建安中」と表現したのだろう*1。
セッコの疑問の元は「魏の魯相」『晋書』の記述である。
この『晋書』が初唐に完成したことは三国志ッ子なら大抵知っているだろう。そう、顔師古先生と同時期だ。
同じ時代、つまり同じような理屈が使われていたかもしれない。
もしかしたら、「魏の魯相」という表記は「魏の建安中」と同様に「後漢献帝の治世の魯相」を意味しているかもしれない。
つまりオチとしては「セッコ、それ魏やない、漢や!」ということだ。