違法な貧民救済

(竇)憲・篤・景到國、皆迫令自殺、宗族・賓客以憲為官者皆免歸本郡。瓌以素自修、不被逼迫、明年坐稟假貧人、徙封羅侯、不得臣吏人。
(『後漢書』列伝第十三、竇憲伝)

後漢外戚であった大将軍竇憲が失脚した際、竇憲の弟の竇瓌は普段から身を正していたお蔭で兄たちのようにすぐ自殺を迫られたりはしなかったが、それでも翌年に「貧民に施しをした」ことを理由に夏陽侯から羅侯へと配置換えになった。



関中にある夏陽県から長沙郡羅県へ移ることになるので、これはつまり僻地への左遷という扱いなのだろう。





列侯はどうやら自分で貧民を救おうとすることは許されていないらしい。



おそらく、施しによって列侯とその貧民との間に皇帝を介しない恩顧の関係が生じてしまうのを懸念した法なのだろう。


皇帝からすれば、皇帝よりもその列侯の方を優先する民が出来ないようにする必要があるということだ。