王必強化月間

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20090817/1250483336
に便乗。

時關羽彊盛、而(魏)王在鄴、留(王)必典兵督許中事。
(『三国志武帝紀注引『三輔決錄注』より)

曹操の腹心の一人、丞相長史王必。

彼は建安23年のいわゆる吉本の乱を鎮圧して命を落とすわけだが、彼はたまたま乱に出くわしたわけではない。
彼は魏王となって皇帝のいる許を離れた曹操に代わり、関羽の脅威の迫る許の鎮撫を任務としていたのである。

乱を起こした吉本、金禕らも王必をだまし討ちにして指揮官を倒そうとした。
王必はこの時の許の最高指揮官(曹操の代理)だったのである。

丞相長史は本来2人置かれる官であるから、もしそのとおりに任官されていたとすれば、王必は丞相府のナンバー2か3なのであり、直属の兵も有していた。
一見わかりにくいが、ものすごい権勢であったのではないかと思われる(もちろん曹操をバックにつけての話ではあるが)。

この乱で王必は負傷しつつも反乱を鎮圧して役割を果たしてから死んだ。
最期まで曹操への忠勤を忘れなかったのであり、彼を失った曹操が群臣なで斬りのような蛮行に走るほど怒ったのも無理はないのかもしれない。