魏国の御史大夫、あるいは疑惑の御史大夫

昨日の記事で、曹丕を丞相・魏王に立てる詔を曹丕の元にもたらした皇帝の名代は華歆であったとされていた。



魏國既建、為御史大夫。文帝即王位、拜相國、封安樂郷侯。
(『三国志』巻十三、華歆伝)


そして、その前の記事で当時の華歆は「魏国の御史大夫」ではないだろうか、と述べた。





それが正しかったとすると、この曹丕を丞相・魏王に立てる特使としての華歆は、曹操の死を聞いて魏国から献帝のいる許へ急行し、すぐに曹丕の後継ぎを認める詔を引き出した、ということなのだろうか。


3日間という短い間で。




それとも、魏王の地位同様に他の者に奪われたりしないよう丞相(および冀州牧)の地位についても最速で継ぐ(既成事実を作る)必要から、一瞬のうちに「皇帝の詔」が魏国の鄴に出現し、それを当時の事実上最高位であった華歆が持ってきたという「設定」にした、という事だったのだろうか?





もちろん、どちらでもないかもしれないが。