皇帝廃立計画への反対

魏書載太祖拒(王)芬辭曰「夫廢立之事、天下之至不祥也。古人有權成敗、計輕重而行之者、伊尹・霍光是也。伊尹懐至忠之誠、據宰臣之勢、處官司之上、故進退廢置、計從事立。及至霍光受託國之任、藉宗臣之位、内因太后秉政之重、外有羣卿同欲之勢、昌邑即位日淺、未有貴寵、朝乏讜臣、議出密近、故計行如轉圜、事成如摧朽。今諸君徒見曩者之易、未覩當今之難。諸君自度、結眾連黨、何若七國?合肥之貴、孰若呉・楚?而造作非常、欲望必克,不亦危乎!」
(『三国志』巻一、武帝紀注引『魏書』)

曹操冀州刺史王芬や許攸などの皇帝廃立計画に誘われるが、彼はそれを断り、その廃立計画は失敗に終わった。




その時の王芬に対する拒絶の言が残っているが、よく見るとこの時の情勢や廃立計画に参加している者や担ごうとしている皇族の資質を問題にしており、「皇帝に対して廃位を計画するなんて不義不忠である」といった言葉が見えないんだよなあ・・・。





ぶっちゃけ、曹操の反対は「今はその時ではない」的な反対であるわけで、この廃立計画にお呼ばれする程度には曹操自身が今の皇帝(霊帝)を挿げ替えることも厭わないという思想だった(少なくともそう認識されていた)ということなんじゃないかなあ。



『魏書』では曹操が諫言にもかかわらず改善されない漢王朝と皇帝に愛想を尽かして諫言を止めたという記事があるし。