絶対的自由

(王)商免相三日、發病歐血薨、諡曰戾侯。而商子弟親屬為駙馬都尉、侍中、中常侍、諸曹、大夫、郎、吏者、皆出補吏、莫得留給事宿衛者。
(『漢書』王商伝)

是時帝舅王鳳為大將軍、其後宣帝舅子王商為丞相、皆貴重任政。鳳妬商、譖而罷之、商自殺、親屬皆廢黜。
(『漢書』天文志)

今も昔も、「死因」は周囲の事情によって隠蔽されることがある。
上の例は漢の成帝の時代、丞相王商が大将軍王鳳との政争に敗れて死んだときのことである。
列伝では「發病歐血薨」つまり病死とされている(同伝賛では「憂死」と表現されている)ものが、天文志では自殺とされているのである。

外戚が勢力争いの末に自殺というのは外聞が悪い。おそらく、成帝や勝者王鳳が死因を隠したのだろう。

なお、成帝の時代には他にも丞相翟方進の例もある。
天文観測から為政者の死が予言されたため、成帝は丞相に死を迫ったのだが、表向きにはそれを秘密にしていた。


もちろんすべての病死、憂死が自殺であるわけはないだろう。
しかし、「病死」で片づけられる死因の中にはこういった別の死因と特別な理由が隠されていることもあるのである。