四十六日

子嬰為秦王四十六日、楚將沛公破秦軍入武關。
(『史記』秦始皇本紀)

諸別將皆屬宋義、號為卿子冠軍。行至安陽、留四十六日不進。
(『史記項羽本紀)

至九月、趙卒不得食四十六日、皆內陰相殺食。
(『史記』白起王翦列伝)

なぜ「四十六日」なのか。

淮南子』天文訓なんかには「距日冬至四十六日而立春」という一文がある。

あくまでも仮説だが、『史記』に複数見える「四十六日」というのは、実数が偶然一致したのではなく、「冬至から立春になるくらいの期間」というある程度の具体性を持った日数なのではないだろうか。
季節が変わるほどの長い間(あるいは短い間)という、期間の長さ(あるいは短さ)を強調する一種の慣用表現なのかもしれない。