改元と元号

有司言元宜以天瑞命、不宜以一二數、一元曰「建」、二元以長星曰「光」、三元以郊得一角獸曰「狩」云。
(『史記』封禅書)

前漢武帝の時代、初めて元号が制定される時の文言。
建元、元光、元狩という元号は後付けで定められたのだが、それまで各年は建元=「一元」、元光=「二元」、元狩=「三元」と呼ばれていたらしい。

ということは、武帝元号制定以前から既に改元は三度していたということだ。

文帝は一度改元し、『史記』などでは一度目の元年を前元年、二度目を後元年として区別している。景帝は二度改元し、前元年、中元年、後元年と区別されている。
武帝はそれ以上の回数すでに改元しているため、当時からすでに区別するために「一元」といった表記を用いていたようだ。

この「改元したけど元号は無い」という状態が存在しうることは重要ではないかと思う。
武帝最後の元号光武帝最後の元号もこれであった可能性がある。