初始と延康

三月、改元延康。
冬十月乙卯、皇帝遜位、魏王丕稱天子。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

建安25年、曹操が死んで曹丕が魏王になった直後、「建安」の元号が「延康」と改められた。



即皇帝位於成都武擔之南。為文曰「惟建安二十六年四月丙午、皇帝備敢用玄牡、昭告皇天上帝后土神祇。・・・(後略)・・・
(『三国志』巻三十二、先主伝)

だが、劉備はなおも「建安」の元号を使用していた形跡がある。



これは、この改元の報が断交状態の益州まで正式に届かなかったという事かもしれないが、「曹丕によって行われた改元は認めない」という態度の可能性もあるだろう。




以居攝三年為初始元年、漏刻以百二十為度、用應天命。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

というのは、かの王莽は元号を「居摂」から「初始」へ改元し、その翌月には自分が皇帝に即位したのである。




この故事を知っている人間からすれば、「延康」への改元も似たような何かだと感じたとしても不思議ではないだろう(本当にそうだったのかはわからない。献帝主導の改元だったかもしれない。)。





実は以前の記事の焼き直し(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110523/1306078322)。