霊寿王

彭城靖王恭、永平九年賜號靈壽王。十五年、封為鉅鹿王。建初三年、徙封江陵王、改南郡為國。元和二年、三公上言江陵在京師正南、不可以封、乃徙為六安王、以廬江郡為國。
(『後漢書』孝明八王列伝)

「賜號靈壽王」とあるが、これはつまり「霊寿王」という称号だけ貰って領国は無いということらしい。幼年だからなのか、封建するべき国の空きがなかったからなのか分からないが。

もう一つ、江陵に封建すべからずという三公の進言も面白い。前漢では洛陽に封建することを武帝が拒んだように、洛陽を都とする後漢では封建すべきでない地の一つとして江陵が存在したということだ。