南陽郡紅陽国の主

時帝舅紅陽侯(王)立使客因南郡太守李尚占墾草田數百頃、頗有民所假少府陂澤、略皆開發、上書願以入縣官。有詔郡平田予直、錢有貴一萬萬以上。
(孫)寶聞之、遣丞相史按驗、發其姦、劾奏立・尚懷姦罔上、狡猾不道。尚下獄死。立雖不坐、後兄大司馬衛將軍(王)商薨、次當代商、上度立而用其弟曲陽侯(王)根為大司馬票騎將軍。
(『漢書』巻七十七、孫宝伝)

前漢末期近く、成帝の叔父すなわち外戚の紅陽侯王立は、南郡太守と結託して農地開拓で不正を行って金銭を得た、という*1




永始・元延間、上怠於政、貴戚驕恣、紅陽長仲兄弟交通輕俠、臧匿亡命。
(『漢書』巻九十、酷吏伝、尹賞)

また、先ほどの王立の領国である紅陽では、「長仲」なる者たち兄弟が反社会的勢力となり、逃散した民をひそかに匿っていたという。




「長仲」が人名なのか兄弟二人の名(字)なのか諸説あり、紅陽侯の子のことであるという説まであるが、とにかく紅陽侯のお膝元でそういう勢力がのさばっていたらしい。



おそらくは紅陽侯自身がその反社会的勢力のバックに絡んでいたことだろう。





紅陽侯王立に限ったことではないはずだが、彼ら外戚は権力や財力を最大限に活用して現地で蓄財であるとか隷民(私有地を耕作させる)の確保であるとかにいそしんでいたのだろう。

*1:元々民に貸し与えられて開墾されていた土地までも開拓した土地と偽って政府に買い取らせたらしい。