王祥の行動原理

王祥や司馬孚は曹魏の皇帝高貴郷公の死を悼んだというが、これをもって彼らが魏に忠誠を誓い晋に否定的だったと考えるのは早計だろうと思う。



この時の彼らのような「批判的にも見える言動を容れる最高権力者司馬昭」という姿は、皇帝を死なせたという失点をリカバリーする「名君の姿」になりうるからだ。



意図的ではなかったかもしれないが、王祥や司馬孚のこの時の言動は結果的に司馬昭にとってプラスだったかもしれないのだ。



武帝為晉王、(王)祥與荀顗往謁。顗謂祥曰「相王尊重、何侯既已盡敬、今便當拝也。」祥曰「相國誠為尊貴、然是魏之宰相。吾等魏之三公、公王相去、一階而已、班例大同、安有天子三司而輒拜人者!損魏朝之望、虧晉王之徳、君子愛人以禮、吾不為也。」及入、顗遂拝、而祥獨長揖。帝曰「今日方知君見顧之重矣!」
(『晋書』巻三十三、王祥伝)


そして王祥はその後にも実際に周囲からの司馬氏の評判を気にし、司馬氏にとってプラスになるようにとの言動があったとされている。


高貴郷公の時の号哭も、そういう種類の行動だったのではないか?



つまり、王祥はあくまでも司馬氏がちゃんと皇帝にまで上り詰められるように、別の視点で言えば曹魏が皇帝の座から降りるようにと考えて行動していたのではないか、ということだ。