『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その25

その24(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/05/28/000100)の続き。





六年春二月丁卯朔、日有食之。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)


建安6年。


六年夏四月、揚兵河上、撃紹倉亭軍、破之。紹歸、復收散卒、攻定諸叛郡縣。
九月、公還許。
紹之未破也、使劉備略汝南、汝南賊共都等應之。遣蔡揚撃都、不利、為都所破。公南征備。備聞公自行、走奔劉表、都等皆散。
(『三国志』巻一、武帝紀)

北へ逃げた袁紹曹操に追撃されたが、敗残兵を再編成、離反した郡県を平定し、勢力を多少盛り返したようだ。




一方、劉備(かつて曹操によって予州牧に任じられている)は予州汝南郡に出現。曹操の派遣した将には勝つが、曹操が来ると逃げるという徐州と同じ動きをするのだった。今度は荊州劉表の元へ逃げ込む。