曹彰の立ち位置

魏略曰、太子嗣立、既葬、遣(曹)彰之國。始彰自以先王見任有功、冀因此遂見授用、而聞當隨例、意甚不悦、不待遣而去。時以鄢陵塉薄、使治中牟。及帝受禪、因封為中牟王。是後大駕幸許昌、北州諸侯上下、皆畏彰之剛嚴、毎過中牟、不敢不速
(『三国志』巻十九、任城威王彰伝注引『魏略』)

先日の記事で書いたように、曹彰曹植擁立失敗によって「命令を馬鹿正直に待っていたら捕まって殺されたりするかも」と思っていたとしたら・・・。



上記の「曹彰の領土を通過する時はみな急いだ」という話、ただ「つよつよな曹彰の性格を恐れた」というだけの話ではなくて、「曹丕による粛清の可能性に危機感を覚えた曹彰が、曹丕行幸の機会に反乱などの凶行に及ぶのではないか」という推測があって、通過する他の諸侯らはそれに巻き込まれたりしないよう急ぎ足になった、ということか・・・?