東海太守

使衛尉馮朝城廣陵、拝將軍呉穰為廣陵太守、留略為東海太守。
(『三国志』巻四十八、孫亮伝、五鳳二年)


評判が悪かったらしい孫峻により広陵攻めの際、広陵郡とともにその北隣である東海郡にも呉による太守が立てられている。



どちらも海沿いなので、これら海浜の2郡においては、呉が海経由で進出しやすいということなのだろうか?




あるいは、これ以前には遼東にまで派兵していたことを考えると、この当時でも東海郡にまで呉が多少なりとも実際に進出していて、影響力が実際にあった、ということなのかもしれない。