朔方刺史の管轄

并州刺史部、郡九、縣・邑・侯國九十八。
【注】
古今注曰、建武十一年十月、西河・上郡屬。
(『続漢書』志第五、郡国志五、并州

是歳、省朔方牧、并并州
(『後漢書』紀第一下、光武帝紀下、建武十一年)


昨日言及した朔方刺史についてだが、後漢初期に廃止されて并州刺史に併合されたらしい。


その同時期に并州に「西河郡」「上郡」が編入されたのだという。



ということはそれらの郡はこれまで并州ではなかったわけで、時期と地理関係を考えると「西河郡」「上郡」はそれまでは朔方刺史の管轄だったのだろう。少なくとも、後漢初期においてはそうだったと思われる。




実はこの両郡は『漢書』地理志では「屬并州」となっているのだが、これは単に間違いがあるのか、それとも時期によって違っていたということなのか。


よく分からないが、ちょっと面白い。