駱統が烏程相になっているから、正式に封じられてはいないが、孫匡の死後に烏程侯を勝手に継いだか、そうでなくても烏程侯国を支配下には置いていたと思う。
— Jominian (@Jominian) 2022年12月11日
なるほど、烏程侯か。
確かに孫堅の「烏程侯」について、ほんらい相続権があるはずの孫策が弟の孫匡に譲ったという話が残っている。
江表傳曰、建安二年夏、漢朝遣議郎王誧奉戊辰詔書曰「董卓逆亂、凶國害民。先將軍(孫)堅念在平討、雅意未遂、厥美著聞。(孫)策遵善道、求福不回。今以策為騎都尉、襲爵烏程侯、領會稽太守。」
(『三国志』巻四十六、孫策伝注引『江表伝』)
ただその一方で、孫策に孫堅の烏程侯を継がせるという話もある。
思うに、孫策はおそらく袁術から離反して曹操に靡いたときに「呉侯」に封建されたという話もある。
孫策が孫匡に烏程侯を譲ったというのは、実はこのころの話なのではないだろうか。
つまり、呉侯という別の(おそらくはより上位の)侯になるときに、それまで孫策が持っていた烏程侯を誰かに譲るという話になり、そこで孫匡に譲ったのではないか。
・・・まあ、そうだとしても孫権の侯があったのかなかったのかみたいなのは不明なままではあるのだが。