100日後に治る傷

呉歴曰、(孫)策既被創、醫言可治、當好自將護、百日勿動。策引鏡自照、謂左右曰「面如此、尚可復建功立事乎?」椎几大奮、創皆分裂、其夜卒。
(『三国志』巻四十六、孫策伝注引『呉歴』)

孫策は傷を負った時に「100日安静にしていれば治ります」と医者に言われていたが、その前に鏡を見て「こんな見た目でまた功を立てることなどできようか!」と言い、かんしゃくを起こして暴れまわった挙句に傷口が開いて死んだ。



100日持たずに死ぬ孫策当時の籠城戦より短い。