ひとこと

後漢書孝献帝紀だと、建安2年に袁術の称帝と袁紹の大将軍就任が起こったことになっているんだな。




これ、昨日も記事に書いた建安2年正月の曹操敗戦(張繍に襲撃された)影響だったりする?



袁術はそれを見て曹操にも献帝にも天命が無いと見て天命が自分の元にあると確信し、曹操袁紹に対し下手に出ないわけにいかなくなった、と。



曹操が最初は袁紹に対しナメた対応だったのに急に下手に出たのも、ただ袁紹が怒っただけだとしたら曹操が頭からっぽで何も考えずやってたことになってしまうので(怒るのは目に見えていただろう)、「軍事力も権威も低下するような何か(=大敗)があったので袁紹を黙らせられなかった」と考える方が辻褄は合うのではないか。