ひとこと

曹操にとって建安2年に宛で張繍に負けたことは、その後の影響という意味では、たとえるなら項羽が章邯に勝てなかった、みたいなレベルの大失敗だったんじゃないか、などとふと思った。



その後を見ると大した失敗ではなかったようにも見えるが、あの敗戦が無ければ四方の敵相手に飛び回ったり背後で離反されたりといったことがあまり起きずに済み、一気に天下取りに近づけていた・・・かもしれない。



言い換えると、皇帝擁立後のしょっぱなでいきなり大失敗したことによって皇帝を擁立した効果が極めて限定的になった、のではなかろうか。



たぶんね。