袁紹の変心

後漢紀』孝献帝紀では、曹操が大将軍になり、袁紹が太尉となったが袁紹おこになって曹操が大将軍を辞退した、までは建安元年。



曹操の大敗が建安2年正月で、その後に袁紹曹操に対し高圧的な態度になり、それから7月になって袁紹が大将軍になる、という流れになっている。




やはり、袁紹曹操張繍に負けたのを知って態度を変え、曹操も今まで以上に下手に出るしかなくなった、ということだろうか?