魏の皇帝陳留王曹奐には「景明」なる「字」(あざな)があったそうだ。
六月癸丑、詔曰「古者人君之為名字、難犯而易諱。今常道郷公諱字甚難避、其朝臣博議改易、列奏。」
(『三国志』巻四、高貴郷公紀、甘露五年六月)
その陳留王曹奐の元の名は「曹璜」だったそうな。
「景明」という字は、皇帝になる前の「曹璜」時代のものだったんだろうか?
皇帝になり「曹奐」になった時に決めたものだったんだろうか?
それとも、帝位を退いてからのものだったんだろうか?
「景明」という字と名は対応している可能性が高いので、あざやか、輝かしいといったような意味合いもあるらしい「奐」に対応しているようにも思えるが、玉璧の一種である「璜」も無関係とまでは言い難い気もする。
結論としてはここだけでは良く分からない。どこかにヒントがあるかもしれない。
まあ、確実に名と字が対応しているとも限らないかもしれないが。