舊典、諸王女皆封郷主、乃獨封(劉)蒼五女為縣公主。
(『後漢書』列伝第三十二、東平憲王蒼伝)
後漢代、王の娘は「郷主」とされたそうだ。
皇帝の娘は「公主」なので、その一等下ということなのだろう。
景懷夏侯皇后諱徽、字媛容、沛國譙人也。父尚、魏征南大將軍。母曹氏、魏徳陽郷主。
(『晋書』巻三十一、景懐夏侯皇后伝)
正始初、曹爽輔政。(夏侯)玄、爽之姑子也。
(『三国志』巻九、夏侯玄伝)
その郷主(徳陽郷主)は、どうやら曹爽の叔母であるらしい。つまりその郷主は曹真の姉妹ということだ。
王ではなかったはずの曹真の姉妹が「郷主」になっていたことになる。
曹操は曹真を我が子同様に育てたという。曹真の亡き父によほど恩でもあったのだろうか。
もしかすると、曹真の姉妹も同様に曹操の娘と同様に扱われたのかもしれない。特別扱いが父のおかげだとしたら、曹真ひとりだけ特別扱いされたというよりは子全員が同じような特別扱いをされた可能性の方が高いだろう。
そうだとしたら、夏侯氏の母は「曹操の娘」と同等の存在ということで特別に「郷主」にしてもらった、ということになるか。
まあ、魏ではそもそも「郷主」は王の娘だけの称号ではなくなっていたのかもしれないが・・・。