タダ乗り疑惑

(京)房本姓李、推律自定為京氏、死時年四十一。
(『漢書』巻七十五、京房伝)

前漢の易の達人京房は、元は李氏だったが自ら姓を京に変えたのだという。



梁丘賀字長翁、琅邪諸人也。以能心計、為武騎。
從太中大夫京房受易。房者、淄川楊何弟子也。房出為齊郡太守、賀更事田王孫。宣帝時、聞京房為易明、求其門人、得賀。
【注】
師古曰「自別一京房、非焦延壽弟子為課吏法者。或書字誤耳、不當為京房。」
(『漢書』巻八十八、儒林伝、梁丘賀)

一方、その京房より以前、やはり易の大学者梁丘賀の師匠に「京房」という人物がいたと記されている。



顔シコ先生は文字の誤りかもしれないと言っているし、確かにその可能性も否定できない(ただし、梁丘賀の師匠の方の京房はこの儒林伝の梁丘賀の項内数か所に出てくる。全部同じ誤りを起こしたということになる。)。




が、その一方で後の方の京房(列伝がある方の京房)は敢えて自ら改姓したとされているが、なぜ「京房」を名乗ったのかということを考えてみると、既にいる著名人の名を利用しようという企みだったのでは、などと勘繰りたくもなるというものだ。