琅邪臨沂人

先日、顔之推や顔師古は「京兆万年人」だったようだ、との記事を記した。



顔真卿字清臣、琅邪臨沂人也。五代祖之推、北齊黄門侍郎。
(『旧唐書』巻一百二十八、顔真卿伝)

だが、『旧唐書』では顔之推の子孫である顔真卿は「琅邪臨沂人」とされているようだ。




彼ら顔氏はその後も元々の出身を名乗る事もあったのか、それとも顔真卿の一族は敢えて「京兆万年」に転籍しなかったのか、それとも何かまた別の理由があるのか。