『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その59

その58(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/01/16/000100)の続き。





九年冬十月、淮南王・趙王・楚王來朝。
置酒前殿、上為太上皇壽曰、始者大人常以臣不如仲能治産業、今臣之業孰與仲多。殿上皆稱萬歲。
十有一月、徙郡國大族豪傑名家十餘萬戸以實關中、婁敬之計也。
十有二月行如洛陽。
趙相貫高逆謀發覺、同謀者趙午等十餘人、皆自刎死。高曰、若皆死、誰當明王不反。乃就檻車送詣長安、言王不知。考治身無完者、終不復言。上曰、壯士哉。令人私問之。高曰、人情豈不各愛其親戚乎。今吾三族皆以論死、豈以王易吾親戚哉。具以情對、上乃詔赦趙王、嘉貫高之節、乃赦之。高曰、所不死者、欲明王不反。今王已出、吾責塞矣。且人臣有篡弒之名、將何面目復事上哉。乃仰天絕吭而死。趙王張敖尚魯元公主、故封敖為宣平侯。
荀悦曰、貫高首為亂謀、殺主之賊。雖能證明其王、小亮不塞大逆、私行不贖公罪。春秋之義大居正、罪無赦。趙王掩高之逆心、失將而必誅之義、使高得行其謀、不亦殆乎。無藩國之義、減死可也、侯之過歟。
初捕趙王、詔有敢從者夷三族。趙王郎中田叔・孟舒皆賢、召見之、漢朝廷臣無能出其右者。皆以為郡守。
春正月、徙代王如意為趙王。
夏六月乙未晦、日有食之。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第四)

父に向かい「仲アニキの方が家を守れる分ワイより上だって言ってたけど、今のワイの成し遂げた事とどっちが上よ?」と聞いてしまう劉邦。根に持ってたんですねえ。




趙の劉邦暗殺計画発覚。趙王は反対したとは言うが、荀悦は「そもそもそんな話聞いたら貫高たちを誅殺すべきやろ。それをやらなかった趙王は処刑されなかっただけでもマシで、列侯にしてやるなんてやりすぎやで」と手厳しい。


ちなみにこの時は趙王自身も逮捕されて長安の獄に送られている。貫高ほどでないにしても、厳しい取り調べを受けたのではなかろうか。