孔丘先生と弟子の子路

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20171004/1507043114の記事の後に考えてみたんだけど、孔子こと孔丘先生が子路のようなあまり頭脳労働が得意そうじゃないタイプ(婉曲)を違うタイプの顔淵やら子貢やらと同等かそれ以上に寵愛したのって、自分が力こそパワーってタイプだったから同じタイプの人物に親近感を覚えたからなのかなあ。




それと、物言わずとも見た目と筋肉で相手を圧倒し屈服させることことを至上とする孔丘先生のスタイルを完全に踏襲できるのは、子路のように相手にあからさまに物理的な危険を感じさせるタイプだけだった、みたいなこともあったかもしれない。