『漢書』高后紀を読んでみよう:その9

その8(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20170922/1506006597)の続き。




上將軍祿・相國産顓兵秉政、自知背高皇帝約、恐為大臣諸侯王所誅、因謀作亂。
時齊悼惠王子朱虚侯章在京師、以祿女為婦、知其謀、乃使人告兄齊王、令發兵西。章欲與太尉勃・丞相平為内應、以誅諸呂。
齊王遂發兵、又詐琅邪王澤發其國兵、并將而西。産・祿等遣大將軍灌嬰將兵撃之。
嬰至滎陽、使人諭齊王與連和、待呂氏變而共誅之。
(『漢書』巻三、高后紀)

ついに終わりの時が始まる。少なくともここで語られるところでは、呂氏を妻にしていた朱虚侯劉章が妻から呂氏の陰謀を知り、兄である斉王に挙兵を勧めた。

同時に朱虚侯は太尉周勃・丞相陳平という当時の功臣の元締めたちとも手を結ぶ。




挙兵した斉王に対し、呂氏は大将軍潅嬰を派遣したがこれが完全に裏目に出た。経験豊富ではあったがどう考えても周勃らに近い立場の潅嬰が素直に呂氏の言う事を聞きはしなかったのである。




いくつか下手を打っている呂氏の行動の中でも潅嬰派遣は一番アカンヤツだったんじゃないだろうか、と思わないでもない。まあ、この時期はまだ功臣たちが表向き呂氏にへりくだっていた頃ではあったが。



朱虚侯劉章有氣力、東牟侯興居其弟也。皆齊哀王弟、居長安
當是時、諸呂用事擅權、欲為亂、畏高帝故大臣絳・灌等、未敢發。朱虚侯婦呂祿女、陰知其謀。恐見誅、迺陰令人告其兄齊王、欲令發兵西、誅諸呂而立。朱虚侯欲從中與大臣為應。
齊王欲發兵、其相弗聽。八月丙午、齊王欲使人誅相、相召平迺反、舉兵欲圍王、王因殺其相、遂發兵東、詐奪琅邪王兵、并將之而西。語在齊王語中。
齊王迺遺諸侯王書曰「高帝平定天下、王諸子弟、悼惠王王齊。悼惠王薨、孝惠帝使留侯良立臣為齊王。孝惠崩、高后用事、春秋高、聽諸呂、擅廢帝更立、又比殺三趙王、滅梁・趙・燕以王諸呂、分齊為四。忠臣進諫、上惑亂弗聽。今高后崩、而帝春秋富、未能治天下、固恃大臣諸侯。而諸呂又擅自尊官、聚兵嚴威、劫列侯忠臣、矯制以令天下、宗廟所以危。寡人率兵入誅不當為王者。」
漢聞之、相國呂産等迺遣潁陰侯灌嬰將兵撃之。
灌嬰至滎陽、迺謀曰「諸呂權兵關中、欲危劉氏而自立。今我破齊還報、此益呂氏之資也。」迺留屯滎陽、使使諭齊王及諸侯、與連和、以待呂氏變、共誅之。齊王聞之、迺還兵西界待約。
(『史記』巻九、呂太后本紀)

史記』呂太后本紀の方が斉王の動向が詳しい。



斉王は自国の丞相(おそらく呂氏の手の者)を消して挙兵、更に琅邪王劉沢を「貴方が兵を指揮してほしい」と言って誘い出しておいて逆に琅邪王の兵をも奪った。



琅邪王劉沢は呂氏とつながりがあったわけだが、それ以上に相応の野心もあったのだろう。それが斉王に利用されたのだ。ただ、これは後にとある大逆転のきっかけとなる。