会稽郡と呉郡

會稽郡、秦置。高帝六年為荊國、十二年更名呉。景帝四年屬江都。屬揚州。
(『漢書』巻二十八上、地理志上)

呉郡。順帝分會稽置。雒陽東三千二百里
(『続漢書』志第二十二、郡国志四、揚州)

漢代、いわゆる呉のあたりは全て会稽郡となっており、後漢順帝の時になってそこから呉郡が独立した、という風に記されている。



渡江、破呉郡長呉下、得呉守、遂定呉・豫章・會稽郡。
(『史記』巻九十五、樊酈滕灌列伝、灌嬰)


だが、昨日の記事の荊王の国となった郡や、上記の灌嬰の事績(呉郡と会稽郡を平定した)などを見ると、どうやら項羽と劉邦が争っていた時期、あるいはその直後から既に呉郡と会稽郡は分割されていた時期があったようにも思える。