趙飛燕、拘束プレイ

帝常以三秋閑日、與飛燕戯於太液池、以沙棠木爲舟、貴其不沉没也。以雲母飾於鷁首、一名雲舟。又刻大桐木爲虬龍、雕飾如真、以夾雲舟而行。以紫桂爲柂耷、及觀雲棹水、玩擷菱蕖。帝毎憂輕蕩以驚飛燕、令佽飛之士、以金鏁纜雲舟於波上。毎輕風時至、飛燕殆欲隨風入水。帝以翠纓結飛燕之裙、遊倦乃返。
飛燕後漸見疏、常怨曰、妾微賤、何復得預纓裙之遊。
今太液池尚有避風臺、即飛燕結裙之處。
(王嘉『拾遺記』)

漢の成帝は豪華な船を作って宮殿内の池を遊覧したが、かの有名な寵姫趙飛燕は舟が揺れると驚くため、金の鎖で船を固定させた。



また、風が吹くと趙飛燕は池に落ちそうになる*1ので、成帝は彼女の着物の裾に命綱を付けてやったという。


一種の拘束プレイかもしれない。ソフトSMである。




後年、成帝がミクロ系に飽きたのか趙飛燕を寵愛しなくなると、趙飛燕は「私めは下賤の身なので、どうして裾に命綱を付けてもらうことなどできましょうや」と恨み言を述べたということである。





そんなに水に落ちるのが心配なら池で遊ばなければいいのに、とか言ってはいけない



あと、「皇帝に万一のことがあってはいけないから船を使うなどもってのほか」と極諫した人物も少し前にいたのに・・・とかも言わない方がイイだろう。



*1:趙飛燕はミクロ系だったことで有名。