太子選びの基準

琅邪孝王裒字道成、母荀氏、以微賤入宮、元帝命虞妃養之。
裒初繼叔父長樂亭侯渾、後徙封宣城郡公、拜後將軍。
及帝為晉王、有司奏立太子、帝以裒有成人之量、過於明帝、從容謂王導曰「立子以徳不以年。」導曰「世子・宣城倶有朗儁之目、固當以年。」於是太子位遂定。
(『晋書』巻六十四、琅邪孝王裒伝)

晋の元帝の子の司馬裒は、元帝の晋王時代に太子に立てようと考えられた時があったらしい。



そこで宰相王導へ「太子は徳によって立てて年齢によって立てない」と言ったところ、王導は「世子(明帝)も宣城郡公(司馬裒)も同程度なので、年齢によって決めるべきです」と答えたのだとか。



元帝も王導も、後継ぎを決めるに当たって人徳が年齢以上に重要な要素であることを否定していないように見える。



一見否定している王導も、「徳は同格なので年齢で」と言っているわけで、「長子を立てるべき」みたいな感覚ではなさそうに見える。





ははぁ、晋の初代皇帝の太子選びで長子にしたらアレだったのを引きずってるな・・・?