新都侯国

永始元年、封(王)莽為新都侯、國南陽新野之都郷、千五百戸。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

外戚であった王莽は紆余曲折を経て「新都侯」に封建されるわけだが、この「新都侯」という国号は「新都県の都郷」というのを縮めた呼び名が元になっているらしい。




つまり新都県の一部を分割して新都侯国として独立させたものと考えられるが、このような「短縮形」を国号にすることはこの時代によくあったのだろうか。





時間があったら調べてみたい(調べるとは言ってない)。