宋氏五人姉妹

尚宮宋若昭、貝州清陽人、世以儒聞。父廷芬、能辭章、生五女、皆警慧、善屬文。長若莘、次若昭、若倫、若憲、若荀。莘・昭文尤高。皆性素潔、鄙蟬澤靚妝、不願歸人、欲以學名家、家亦不欲與寒郷凡裔為姻對、聽其學。若莘誨諸妹如嚴師、著女論語十篇、大抵準論語、以韋宣文君代孔子、曹大家等為顔・冉、推明婦道所宜。若昭又為傳申釋之。
貞元中、昭義節度使李抱真表其才、徳宗召入禁中、試文章、幷問經史大誼、帝咨美、悉留宮中。帝能詩、毎與侍臣賡和、五人者皆預、凡進御、未嘗不蒙賞。又高其風操、不以侍命之、呼學士。擢其父饒州司馬、習藝館内教、賜第一區、加穀帛。
(『新唐書』巻七十七、后妃伝下)


唐代、宋氏の五人姉妹が揃って学問、文章に通じ、誰かに嫁ぐのではなくその学問を以て世に出たいと父に願った。



父もまたそれを認め、長女は妹たちへの教材として『女論語』を作り、晋の宣文君を孔子*1、曹大家こと班昭(班固の妹)らを顔回などの高弟に準えたのだという。




その後彼女らは節度使の推薦を受けて皇帝に召し出され、後宮で「学士」と呼ばれるようになって実際に禁中の書籍の管理を任されたという。





いかにも中国か韓国で歴史ドラマの主人公に取り上げられそうな姉妹だ。


実際すでにあるかもしれないが。

*1:この宣文君は彼女らと同じ宋氏であったのでトップに持ってきたのだろうか?