『晋書』文帝紀を読んでみよう:その3

その2(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/08/13/000100)の続き。





蜀將姜維又寇隴右、揚聲欲攻狄道。以帝行征西將軍、次長安。雍州刺史陳泰欲先賊據狄道、帝曰「姜維攻羌、收其質任、聚穀作邸閣訖、而復轉行至此、正欲了塞外諸羌為後年之資耳。若實向狄道、安肯宣露令外人知?今揚聲言出、此欲歸也。」維果燒營而去。
會新平羌胡叛、帝撃破之、遂耀兵靈州、北虜震讋、叛者悉降。以功復封新城郷侯。
高貴郷公之立也、以參定策、進封高都侯、增封二千戸。
(『晋書』巻二、文帝紀

降格した司馬昭、今度はまた対蜀。



「行征西将軍」つまり代行という事だ。もしかすると前回罰を受けて官位・爵位が落とされたために扱いが悪くなっていたのかもしれない。これまでの官位の変遷と立場を考えると、本当なら「行」が付かなくても不思議ではない所だ。



その後の羌の反乱鎮圧で侯に復帰。まあ、何か目に見える功績を立てさえすればすぐ復帰する手筈だったのだろう。




司馬昭はドサ回り的な事が多い感じもあるが、もしかするとそれが後半生に活きたのかもしれない、などと考えてみる。